ノストラダムスの大予言


■予言と占い
ノストラダムスの予言は、如何なる原理に基づいているのか? 彼が占星術師であったことから考えれば、当然、次のような可能性が出てくる。

①占星術を用いて、未来の出来事を知った。

残念ながら、私には西洋占星術の知識がない。日頃、親しんでいる易から類推してみることにする。たとえば、ルイ16世が私の部屋に飛び込んできて、「パリから逃亡したいんだが、吉凶を占ってくれ」と頼んだとする。私の部屋に飛び込んできた時点で、パリどころかフランスからの逃亡に成功しているわけだが、それは不問に付す。

卦を観て、「こちらの方角は凶です」と判断することはできるが、白や灰色という服の色、ヴァレンヌという固有名詞までをも導き出すことは、ほぼ不可能に近い。惑星と惑星の角度を測る場合も同様であろうし、そもそも王に頼まれていなければ、占う理由すらない。ノストラダムスの予言の拠って立つ原理が、占いであるとは考えにくい。

前述の書の中で、高木彬光は次のように述べている。
予言というものは、本質的には占いではない。なにかの霊感にめぐまれた人間が、ふしぎな力の作用でぱっと頭にひらめいたことを、口なり筆なりで発表するのが、本来の意味での予言なのである。
(高木彬光『ノストラダムス大予言の秘密』角川文庫
思うに占いとは、筮竹やホロスコープ表といった道具を用いるものである。人相占い、手相占いもあるので、道具ではなく「媒体」と呼ぶべきかもしれない。そうした媒体の用い方に熟知すれば、誰にでも占いはできる。それに対して「霊感にめぐまれた」ノストラダムスの予言とは、如何なる媒体にもよらぬものであろう。

夢の中で見たのか、ある種の瞑想状態の中で幻視したのか、それはわからない。ともかくも250年後の出来事を細部に至るまで、彼は直接的に感知していたに違いない。考えられる可能性は、次の二つということになる。

②第三者の視点を通して、未来の出来事を感知した。
③当事者の視点を通して、未来の出来事を感知した。


しかし、たとえば夢の中ででもいいが、あなたが夜道を行く馬車を眺めていたとする。その馬車の乗客を国王夫妻と知る術が、あなたにあるだろうか。乗客が変装している事実さえ、あなたには知ることはできまい。ナレーター代わりの高級霊でもいるなら話は別だが、そのようなナレーターの名は、ノストラダムスの書には記されていない。

とすれば原理として残すべきは、ただ一つ。ノストラダムスは事件の当事者の一員として、パリからヴァレンヌまでの道行きを体験していたのである。白い服、灰色の服を間近に見ていたのである。さらに彼が「トランシュ tranche 」に似たギロチンの響きを聞いたとするなら、王か王妃、どちらかであった可能性が高い。
■『百詩篇』第10巻72番
いよいよ『百詩篇』第10巻72番の解釈に入る。といって、これから提示するものを唯一正しい解釈と主張するつもりはない。第10巻72番が何事かを的中させたと仮定するとき(これも飽くまで仮定である)、どのような解釈がもっとも妥当であるか。それを提示するにとどめたい。1999年に何事が起こっていたか。思い出しつつ読んでいこう。



L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois
Du ciel viendra un grand Roi d'effraieur
Resusciter le grand Roi d'Angolmois.
Avant apres Mars regner par bon heur.

1999年、7つの月、
空から恐怖の大王が来るであろう、
アンゴルモワの大王を甦らせ、
その前後、マルスが幸福の名のもとに支配するであろう。

「1999年、人類は滅亡しなかったじゃないか」とおっしゃるなかれ。一見してわかる通り、人類が滅亡するとは書かれていない。1999年のことではなく、20XX年の人類滅亡を予言しているなどと、相も変わらず、脅迫まじりの珍説を売りたがる輩がいるようであるが、それならば、20XX年と明記されていたはずである。

7つの月、もしくは7ヶ月と訳すべき≪sept mois≫を7月と解釈する研究者もいる。これも7月ならば≪juillet≫、第7の月であれば≪le septième mois≫と書かれていたはずである。ちなみに≪sept≫の≪p≫は発音しない。カタカナで表記するならば「セット」である。

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