1分でわかる般若心経


般若心経というのは短いお経で、下手すると、どんな解釈でも許してしまう。

まったく油断も隙もない。解説と称し、手前勝手な人生論が盛り込まれることも多いが、そんなものは酔ったオヤジの自慢話と変わらない。人生ではなく経を語れ。「こう見えても、俺も昔はワルで……」なんて下らねぇ能書きを聞きたくなければ、以下の記事を読むといい。1分で般若心経がわかる。



まず、タイトルに「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」とある。真言宗では「仏説」をつける。曹洞宗などでは「仏説」をつけないで読む。しかし、そんなことを書いていると、あっという間に1分たってしまう。省略して、本文へ進もう。

「観自在菩薩」とは観音様である。観世音菩薩ともいい、世間の声を聞き取る菩薩様であると解説本には書いてあるが、ここでは1分で解説しなければならない。省略しよう。

「行」は修行すること。「深般若波羅蜜多」は、ある深遠な修行の呼び名である。「五蘊」は省略するが、「皆空」とあるから、すべて「空」なのである。「度」は「渡」と解釈してよく、向こう岸へ渡ること。「一切苦厄」は一切の苦しみと災いである。

かいつまんでいうと、すべて「空」であると見極めれば、一切の苦しみ災いから解放される、となる。ここで「空」がキーワードかと見当がつき、先へ進むと「色即是空」とある。般若心経のキャッチフレーズのようなものである。

龍樹 (講談社学術文庫)
龍樹 中村元
『中論』の全訳を収めるばかりか、解説も丁寧で素晴らしい。まさに「空」入門書。
しかしながら、こんな短いお経で「空」を理解しようなんていうのは図々しい話だ。龍樹の『中論』か、『八千頌般若経』を読むべきである。省略する。

ずっと後ろへいくと、「能除一切苦」とある。一切の苦を除くことができる、という意味だが、これは先ほどの「度一切苦厄」と似ている。まあ、同じと考えていい。

その少し前に、「故に知るべし、般若波羅蜜多は是れ大神呪なり」とある。「呪」は呪文で、「般若波羅蜜多」は修行の名前であった。とすれば、般若波羅蜜多は呪文を唱える修行だったのである。まとめてみよう。

観音様は深遠な般若波羅蜜多という修行をし、すべて空であると見極めた。呪文を唱える修行であり、それによって一切の苦から解放される。その呪文とは、

羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提娑婆訶。

これが般若心経である。なぜ唱えると苦から解放されるのか? そんな思い計らいがあるなら、もはや「空」ではない。『中論』や『八千頌般若経』まで手が回らなければ、まずは無心に唱えることから始めるべきなのである。




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